| 新連載第2弾! | |
文● 和田真帆 Maho Wada 美術ライター |
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2005年は日本・ドイツ年ということでそれに関した展覧会も多い。 しかしキーファー、リヒター、ポルケといった世界的に有名な美術家は別として、ドイツの美術の状況はいまだ伝わってこない。 そこで敗戦、国の分裂そして統合という歴史を経てうまれた状況を伝える。 筆者は、長くドイツに在住し、今秋には北野武の映画についての著書もドイツで刊行される和田真帆。 単に注目した展覧会の報告だけでなく、インタビューなども交えてできるだけ“現在”のドイツ美術の姿に焦点を絞る。(編集部) |
第一回 〈FRAKTALE IV tod (フラクターレ4 死)〉 Palast der Pepublik, Berlin 2005年9月17日〜10月22日 (*11月19日まで延長) 和田真帆(わだ まほ) 1970年生まれ 千葉県出身。武蔵野美術大学短期大学部空間デザイン科卒業。92年〜ドイツ在住。ベルリンフンボルト大学演劇学科、ベルリン自由大学美術史科修士課程修了。2005年秋、ドイツのAVINUS出版社から北野武映画論『Stille und Gewalt (静寂と暴力)』を出版。 現在は美術家・原高史の"signs of memory"プロジェクト運営を担当し、ドイツと日本を拠点に活動。。 |
| 第二回 第三回 第四回 第五回 |
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| 第1回 (2005年)10月24日 | ||||||||||
死を迎える建物で繰り広げられた25人の美術家による死の様相 |
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“ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター “ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター |
●空間に演出される“死、”風景に託される“死” ドイツの首都ベルリンで、一つの歴史的重要建築物が今まさに葬られようとしている。 琥珀色に反射するガラスで覆われた、巨大なブロック型の典型的な社会主義時代の建物――共和国宮殿。かつて東ドイツの政治の祭典の場であった共和国宮殿は、日本でも現在問題となっている建築材のアスベスト使用が認められ、1990年以降長らく立ち入り禁止となっていた。
フラクターレは、アーティストのヨーナス・ブルゲルトとインゴ・クライナーの企画する展覧会で2000年にスタートした。廃虚と化した教会、ビール工場跡、建設中の地下鉄の駅と展覧会場を移動し、また参加人数を増やしながら、今回この共和国宮殿を展覧会場として選び、“死”というテーマで第四回目を迎えたのだ。 建物の中に入ると、埃っぽく湿った匂いがする。アスベストの壁が取り払われた巨大空間が広がり、赤く錆びた剥き出しの鉄骨が訪れるものを威圧するようにそびえ立っている。作品は2フロアーに分け展示されている。下階部分は巨大空間の中に仕切られたホワイトボックスの中にビデオ・インスタレーション、写真、絵画が並ぶ。巨大なインスタレーションを中心とした上階部分は、壁どころか、ところどころ床さえ取り払われてしまった薄暗い混沌とした空間が広がる。作品は、“死”をダイレクトに連想させるものから、アイロニカルで、ユーモアなものまで様々だ。 その中で私の心を捕らえたのはAlexandra Ranner(アレクサンドラ・ラナー)のインスタレーション『ich bin genug"(われは満ち足れり)』だ。実物大より一回り(20パーセント)小さい家の模型。上階展示スペースの隅にその家はひっそりと佇んでいた。中からこの作品のタイトルにもなっているバッハのカンタータ82番、“ich bin genug”が流れてくる。家の小窓から中を覗くと、その中にはモニターが設置され、一人の男性の切断された頭部だけが、川に浮かび、穏やかな川の流れに“身”ではなく“頭”を委ね、独唱している。 「物心がついた頃から常に“死”を意識し、向き合ってきた」ラナーは、多感な10代半ばにバッハのカンタータ82番"ich bin genug"と出合う。死に向かう、朗らかで、安らかな気持ちを唄ったこの曲は、ラナーの最も好きな曲の一つであり、またこの曲によって彼女は救われたのだという。 |
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“ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター “ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター |
ラナーの作品を最初に観たのは2001年のベネチアビエンナーレで。その後も何度か作品を目にする機会があった。ラナーは一貫して演劇要素を取り入れた建築空間を展開している。コンテナ大の立体インスタレーションは、静かな佇まいで一見地味な印象なのだが、演劇の舞台のような空間、そしてそこに創られた虚構のストーリーに、初めての出合いから強く惹かれるものがあり、興味深く観ていた。 ラナーの作品が演劇的要素を含んでいるのは、ラナー自身がアートに自己表現の場を見いだす以前に、演劇をやっていたということが影響している。今回の作品『ich bin genug』は、一人の人間の心誌、“死”の現象の独白(独り言)を建築空間として“演出”。建築空間を演出するラナーは、今回展示場所となった共和国宮殿の空間も含めての“空間演出”に成功したともいえるだろう。 常に“死”を意識していた少女時代を過し「大人になって年を重ねていくごとに“死”に向かうのとは反対の方向に向かって歩んでいる」と言ったラナー。激しさを内に秘めながら、静かで、穏やかで丁寧な物腰のラナーの人柄が、作品と真摯に向き合うその姿勢にも反映しているのだと感じた。 「この展覧会はキュレーター、ギャラリストではなく、アーティストにより発案され、運営されているものである」とラナーは強調する。「ともするとプロフェッショナルではない、内輪で盛り上がるもので終わってしまう危険性も十分に認識し、だからこそアーティスト達が一丸となって、プロフェッショナルなもの、パーフェクトを目指し“展覧会”を作り上げた。」そういったアーティスト達の熱気が、我々会場を訪れた観客にも伝わってくるようだ。 もう一人、今回の展覧会で興味深い作品を発掘することができた。下階ホワイトボックスの外面に展示してあったSid Gastl(シッド・ガステル)の絵画『banda silencio I-IV』だ。ワーグナーの“さまよえるオランダ人”をイメージしたというガステルの描く家には窓が無い。家はこれから入港する船であり、背後に広がる空は海。嵐の前の静けさが漂う。縦一列に掛けられた横長方形4枚の連作は「アブストラクトな物語」だ。ガステルは主に風景画を描く。しかし描写ではなく、いつかどこかで観た風景。孤独、不安、悲しみなどの自分の心情をアブストラクトな風景として描く。
ガステルの作品は平面だが、やはり空間を演出する作品だ。というのも、ガステルの絵は観るものとの距離、観る者の目線が計算されており、観る者はガステルの作品の一部となって、絵はそれを囲む舞台でもあるからだ。 ガステルの作品は、その確かな技術力から力強さを感じる。また絵画という枠を超えた表現にも興味が持てた。「絵が好きで描いていたら、知人が美大というものを教えてくれた。それまで美大なんて知らなかったからね」という言葉が表わすように、朴訥で、どこか浮世ばなれした絵描き然としたその風ぼうが、ワーグナーの作品をイメージしながらも、ワーグナーほど重すぎず、暗すぎない(?)ガステルの作品の印象に、妙に納得できた。 ラナーもガステルも「“フラクターレ4 死”というテーマをことさら意識して、作品制作に取りかかったわけではない。これまでの仕事自体が大きな意味において“死”を意識したものだ」という言葉がとても印象的だった。 |
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“ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター “ベルリンの壁”崩壊後のドイツ美術 文●和田真帆 Maho Wada 美術ライター |
●展覧会場となった共和国宮殿、その歴史性から言及 ベルリンは壁崩壊後、工場跡(ビール工場、マーガリン工場)や公共施設跡(郵便局など)、デパートまたは防空壕跡、または修復前の国会議事堂など、廃虚、空きスペースを展覧会場、イベント場として活用する再利用が多く行われてきた。それぞれの建物が、かつていかなる機能をもって存在していたか、またどのような歴史を辿っていったのか、そういったこととは全く無関係に行われることもあるが、しかし展覧会、プロジェクトなどが行われることによって、その存在、歴史が顕著になった例も少なくない。 ナチズムの台頭、第二次世界大戦による破壊、そして降伏。さらに東西ドイツへの分裂、ベルリンの壁建設、壁崩壊、首都機能の移転と、これほどまでに20世紀の歴史を凝縮した都市はあるだろうか。ベルリンの辿ってきたその歴史、またベルリンが担ってきた政治的背景は、重く、暗いものである。 共和国宮殿が建つこの場所に、第二次世界大戦後までベルリン市城が存在していた。しかし東独社会主義統一政権下、プロイセン帝国時代を象徴するものとしてのベルリン市城は、一部しか戦災の被害を受けていなかったにも関わらず、すべて取り壊さなくてはならなかった。月日が流れ、この共和国宮殿もまさにかつてのベルリン市城と同じ運命を辿ることになるのである。 共和国宮殿は、旧東ドイツの歴史を象徴する建築物だ。この建物を記念碑的に存続を望む声が多くあったが、この場所にベルリン市城を再建をという案が旧西ドイツ人の間で上がった。社会主義を象徴するこの独裁的な建物を葬り去るという理由で。そして長い論議の後、ドイツ連邦議会によって取り壊しが決定したのだ。 かつて共和国宮殿は議会建築としてだけではなく、娯楽施設、レストランなども含んでいた。外観は簡素であったが、内部は反対に大理石とシャンデリアで着飾り、東独市民にとって一度は訪れてみたい憧れの場所であったという。この建物のその当時を知っている人々からみたら、現在の姿はどう写るのであろうか。 くしくも、ドイツはこの展覧会の会期中10月3日に東西ドイツ統一15周年を迎えた。現在ドイツ中が“オスタルギー”だ。(ドイツ語オストは日本語で東。東とノスタルジーを掛け合わせた造語)しかし大半のそのドイツ人の心とは裏腹に、共和国宮殿同様にオスタルジーが感じられる建物、広場などが次々と修復、もしくは取り壊されているのが現状だ。 “死”というテーマで迎えた旧共和国宮殿での展覧会。そして、この展覧会を最後に、これから“死”を迎える共和国宮殿。25人のアーティストの中でこの建物の歴史性をあえて取り上げた者は誰一人としていなかった。しかし“死”と題したテーマに25人のアーティスト達が、各々の表現で、個々の作品が、この場所の特異な歴史と現在の様相に、埋もれるでもなく、またはじき合うでもなく、うまく共存し、空間全体の構成で見せているところは大いに評価できる。それは企画をした2人のアーティストの、「死というテーマで、あえてこの共和国宮殿を展覧会場に選んだ」という言葉にも現れているのではないだろうか。たとえ個々の作品がダイレクトにこの建物の歴史性と結びついていなくとも、“死”というテーマで多岐にわたる作品を通して、アートが介入することにより、現在のこの建物の状況、状態が顕著になり、そのことにより歴史性も問われていくのではないだろうか。またこれらのアートは訪れるものとそれらを結びつける媒体となるのだ。 死を迎えるこの建物の最後を飾る展覧会として、これほどふさわしいテーマはあるだろうか。 |
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